前回の記事から引き続き今回は
平成7年から書いていきます
前回↓
目次
平成7年(1995年)の出来事
テレサ・テン死去
阪神・淡路大震災が発生
地下鉄サリン事件発生
九州自動車道全線開通
週刊少年ジャンプ連載の
ドラゴンボール連載終了
映画 耳をすませば 公開
自分が初めて見に行ったジブリ作品です
思い出
この年は阪神淡路大震災で大きな被害が 出た年です6千人以上が犠牲になる大災害でした
音楽も桑田佳祐&Mr.Children 奇跡の地球(きせきのほし)
H Jungle with t、WOW WAR TONIGHT~ 時には起こせよムーブメント
などヒットしました
パチスロの思い出
平成7年(1995年)ここであの名機クランキーコンドルが発売なのですが
正直出たばかりの頃は、あまり打つ気にはなりませんでした
新台初日でも、出ているイメージがない!
前の年に出たニューパルサーの人気が良すぎて自分も、あまり触ってなかったです
いつも知り合いと、あの台出ないしパルサーの方が面白いと言っていたものです
それほど当時の山佐の台は人気がありました
この年に発売された山佐の台ピンクパンサーもかなりの人気でホールもニューパルサーとピンクパンサーの方ばかり力を入れてました
この2台、女性ウケもよくヤマサのパチスロ、ならではのわかりやすいリーチ目(一部マニアックなリーチ目もありましたが)
当時は、リーチ目が沢山見れる=勝てると思われてました
もちろん自分もそのように思ってました
しかし、1995年の年末ぐらいに
知り合いから、クランキーコンドルが、美味しいと聞いて
雑誌や知り合いの話なんか聞いて「クランキーコンドル」の情報を集めてコンドルに、はまって行ったんです
それまで親父打ち(いわゆる適当打ち)でリーチ目をたくさん見たいがため、チェリーですら取っていませんでした
クランキーコンドルではチェリーを確実に取るため青七か、コンドルを毎ゲーム目押し、しなければなりません
毎ゲーム目押しすることの面倒さ
今の台と違って
当時の台は、リールの上からライトが当たるいわゆるバックライト方式の台だったのでかなり目を疲れさせます
当時の自分は、あまり目押しが得意ではなくてパルサーも、7を狙う時は、リールの継ぎ目を目安に止めてました
こんな自分が、狙う箇所はもちろん継ぎ目のついてるコンドルでした
こっちの方が目が疲れないんです
しかしそれでは、ボーナスと子役を同時に狙えません
BIGであれば成立ゲームに揃えることができる青7を狙ってないんですからBIGのたびに1枚損することの大きさが分かって青7の目押しの練習もしました
今でもたまに聞く青テン、これが出せた時の喜びは
(某スロットライターが青7テンパイの時 カリッと音がすると言っていましたが)
わかる気がします
これから何年も付き合っていくことになるクランキーコンドルとの出会いがこれでした
まあ徐々に人気が出てきて、毎日コンドルに座れるわけではなかったですが、座れたらトイレに行く時間も惜しいぐらいにぶん回してましたね
今回はこれまでにします
次は平成8年からになります
スロットのことは「クランキーコンドル」の事ばかりになるかもしれませんが
よろしくお願いします